アナル地獄(アナル地獄ではないのだが)ーーーー極地の最寄り駅に位置するその心の拠り所は、人々の様々な想いが交錯する現代における一種の肛門であった。
西連寺最強のネームバリューについてだが、今回はこの事については言及しないでおく。
しかしここで浮かび上がるのがベランダに放置されたクロックスである。彼は真っ直ぐ地平線の彼方を見つめて1日を過ごした。
筆者はトイレの後尻は拭かない派なのだが、今すべき話ではないと悟った。
何故かというと近年稀に見るアナル地獄の登場により行く手を阻まれた俺たちは、次なる新天地での生活を強いられていたからである。
ここで読者の皆が思う事といえば、揃って「アナルピンチヒッター」の存在である。
その話についてはまた次の機会にという事になってしまうのだが、筆者は先程から日焼けによる皮膚の痛みを気にしている。
勿論この場合におけるマグカップは隠語なのだが・・・(ポルトガル旅行記)
見ず知らずの人に肛門の観察を依頼するのは気が引ける、という人もいるかもしれないが、そんな事はない。
実際私達が目にしているあれやこれは全て肛門への布石であるために、1という数字に執着してしまうのである(俗に言うアナル輪廻である)。
やはり虚遇の肛門というものは恐ろしく、常に我々の右斜め後ろで宗教勧誘しているように思われる。その真理とは正に世界であり銀河であり我々自身なのである。
では逆に肛門についてはどうなのか?
この回答としてはやはり我々自身の中にあるとしか言いようがない。混沌とした現代に肖る肛門という名のClariSが、永遠と付き纏う。
(特筆するまでもなくironyは至高である)
結局の所人生は肛門の有無によって大きく左右されるという事で、今週の肛門論としたい。