今月分の肛門論はまだか?

数週間前、異変というタイトルで注意喚起を目的とした記事を投稿してから、このような質問が一層寄せられるようになった。

 

率直に現在の私の感情を熟語で表すとするならば、「憤怒」だ。

 

君は、あの記事で何を見て、考えたのだろう。

未だ閲覧していないのであれば、一度目を通しておいてほしい。

 

 

しかしこのような質問をする連中の一部には、既に前回の記事を読んでいるにも関わらず、茶化すかの様な態度で質問を送る者もいる。

 

 

私は、ここで「ならば君が書いたらどうなんだ」といった類の返しをするのはそもそもの本質が分かっていない人間のする事だと考える。

 

何故ならばこの手の質問は、筆者とその読者という立場関係を前提としており、私自身が筆者として求められている物(読者からの需要)を自覚しているか否かを試す意図を含んでいるからだ。

 

 

だからと言って、何を言っても許されるわけではない。

私はよく、Twitterで「今月分の肛門論はまだか?」という投げかけの直後に、その身内が、もしくは投稿主自身が

まだか?ではないw

と、勝手に自己完結させているという場面を多々目撃している。

 

これは、一体なんなのか。

 

 

そこまで言うなら自分で書けよケツ野郎が。

 

 

尻も割れてない農民共が眠たい事ぬかすんじゃねえぞケツが。