人が持つ様々な部位の中でも、何故肛門の数は人によって異なるのだろう?
誰もが一度は考えるこの素朴な疑問に、D型肛門研究家の木村祐一は率直に
「種の本能的な自己防衛(環境変化や伝染病などによる種の全滅を防ぐため多様化すること)がもたらす結果や」と答えた。
しかし肛門数がたかが1,2増減したとしてそれが直接種の繁栄に貢献することがあるのだろうか・・・そうスタッフが呟いた途端木村は一切口を利いてくれなくなってしまった。
インタビュー開始の直前はあんなに威勢よくカールを頬張っていた木村が、風呂を出た直後のジジイの金玉袋のように大人しくなり、遂には爪を切り出してしまった。
バン!
この気まずい空間を切り裂くようにインタビュー室の扉を勢いよくぶち開けたのは、肛門が顔のパーツのメインを張っているというあの、ブラマヨ吉田であった。
「そんなこと言うてもインタビュアーさんかて人の見てないとこでは平気でアニメのOPED飛ばしたりしてんちゃいますの~!」
そう大声で訴える吉田の腕の無数の注射跡は、非情にも日本の待機児童問題の深刻化を切実に物語っていた・・・。
↑ペイントを使用した親切なイラスト
・肛門論は全13回⁉︎
皆さんは『マラ』についてどのようなイメージを抱いていますか?
私はマラがほぼ日課のようになっていますが、実際私のように毎日マラに出かけているような人間は殆ど居ないようです。
マラというと、特に「非生産的な行為」として捉えられがちですがそれは大きな間違いです。
先月私が実家に帰省した際、毎朝マラに出かける私を見た父が私にかけた言葉は「年寄りのやる事だ」でした。
私は私の実父がこんなにも愚かな人間だった事に驚きを隠せず、怒り狂い、そばにあった自転車の空気入れで後頭部を一打。
その場で重い音を立てて倒れた父はそれから現在まで目を覚ますことはなく…?
・4年で4年制大学を卒業するのは不可能!?
やっぱりそうかの一言に尽きる。
n年制とは名ばかりの、明らかにハードなカリキュラム。
執拗なまでに繰り返される、暴挙(午前9時前後から開始される講義、俗にいう1限)。
常日頃から勉学に励んでいる私だからこそ、気づくことができた。
私は大学側が設定している、各学期に取得(厳密には履修登録)できる制限単位数に目をつけ、個人的に調査した。調査したところ、
卒業に必要な単位数が、4年分の制限単位数の合計を、超えていました。
・筆者の著しい気力低下について
「本当にモチベが無い」このセリフを何度言ったことか、そしてそれ以上に何度言いとどまったことだろうか。
要するにハナからブログを毎週更新しようなんてこれっぽっちも、湯船に浸かりながらふと…すら、考えたことがないのである。
そしてその考え方や、実際ブログを気まぐれにしか更新していない事実を把握していながらも、ブログに必要不可欠である”読者”に対して(寧ろこちらのほうが)全く、肛門的陰毛一本分すらも申し訳無さを感じていないのである(!)。
もし文句があるならば……
・読者の皆さんへ
『肛門論』を初回から、あるいは途中からでも読んでくれている君なら、いつだって自分なりのコーモンロンを形成し続けてきたことだろう。
それがこのブログ、つまり私が本質とする道筋からズレていたとしても、そうでなくても、それはあなただけのコーモンロンだ。
その確かな意志はあなたや、あなたの周囲の環境に影響を及ぼすほど強く、優しく、そして太い。
そんなあなたの持つ優しさは、両親が育んできた唯一無二のあなたの肛門を包み込んで、そしてそのうちそれは大気となり、風となり、ニュージェネレーションの"コーモン"に優しく語りかけることだろう・・・。
『寝る前に肛門のシワケアはしたか?』
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