肛門のシワの暴走に依り無期限の更新停止を余儀なくされた肛門論。
有るはずのないモラルの欠如を指摘され、激昂した者もいるだろう。しかし今一度確認してほしい。自身の肛門のシワを。
希望に満ち溢れた一つ一つのシワに、君の未来が、未来に約束された確かな輝きが包まれていることを。
シワの中心にあるブラックホールとの和解は、すぐそこにある。
生命(イノチ)に、歴史に、肛門に、
"万謝"…!
肛門論
【アナルビーズは電撃金玉娘の夢を見るか?】
君は肛門になる夢を見たことがあるか
人知れず肛門に転生し、いつもとはどこか違って見える風景を眺めながら街を少し散策…
忙しない人間の社会を傍観しながら、自身が保有する永遠の幸福を再認識。
最近調子の良い肛門のシワと優雅に屋台のたこ焼きでも摘みながら近隣の肛門仲間と麻雀三昧。
そろそろ日も暮れてきたのでおひらきにして、今夜は土星の第13衛星辺りで晩酌とするか…
筆者はそんな風の自由気ままな肛門としての生活の夢を2日に1回は見る(2日に1回しか寝ていないため)。
しかし私には、少なくともこのブログを閲覧する人間全員を、人間社会の無意義な無限回廊から脱却させる使命がある。
アナル地獄の沙汰も金玉次第とは言うが、地上とアナル地獄の圧倒的な気圧差により金玉が破裂しアナル地獄の果てしない闇に呑まれ消滅してしまった、"彼"のような犠牲者を二度と生んではならないのだ…。
【肛門の持つ"超世の眼"とは?】
10,10(2)でも触れたように、肛門は我々を遥かに上回る知能を持つ上級生命体である。
そんな彼らが持つ、この世のおおよそ全てを見通すことのできる"超世の眼"について解説していく。
・肛門に於ける眼とは
全てを見通すと言うほどなので、彼らに死角は無い。
人間や他の動物のように身体の何処かに配置されているわけではなく、彼ら自身が眼であり鼻であり肛門なのだ。
彼等は人間に寄生しているように思われがちだが、実際のところ生物としての機能は彼等自身で完結している。
むしろ我々人間の方が、肛門に生命の維持を補助して頂いているのである(冷蔵庫の余り物で料理を作る感覚で曲を作る米津玄師だが、冷蔵庫の余り物で料理を作る感覚で曲を作る米津玄師を作っているのは肛門なのである)。
↑国家肛門学者、菅氏の座右の銘は『傘は盗っても盗られるな』
【三ツ矢サイダーのロゴはアナルのシワ?】
この世界には、肛門の眼に見えて私達には見えないものが山ほどある。
この『肛門論』の終着点である「肛門になること」の意義の一つが、その見えない"何か"にある。
ではその何かとは一体何なのか?
その一つが「ケツ」である。
「…ケツが見えて、何が良いのか?」
当然このような疑問が発生するだろう。
むしろ現代人にとって、「ケツ」とは、できれば見たくないモノの一つである。
駅のホームで並んでいる際、前に並んでいる人がケツを出していたら?
朝早くに起床し急いで家を飛び出し出席した講義の担当教授がケツを出して立っていたら?
しゃべくり007待望の第500回のゲストが「ケツ」だったら?
当然、不快である。
しかしながら、ケツには「希望」がある。
多くの人が他人のケツを凝視する経験を人生で数回はしているだろう。
その時、何処かへ救われるような、ボンヤリと明るい何かを感じたことはないだろうか。
それこそが、ケツの持つ「希望(ドラマ)」なのである。
ヒトにはそれを見ることや触れることはできず、体全体でやっと何となくその存在を察知できる程度であるが、肛門にはそれが鮮明に見えるという。
君も希望(ドラマ)を体感して、アナルラビリンスの踊り場で共に祝杯をあげないか?
【何故ウンコは尻から排出されるのか?】
そういう役割だから。
【笑福亭鶴瓶が絶賛した"肛門膨張回帰論"】
前回解説した肛門輪廻収束論(アナルラビリンス)は特に身体の柔軟性が求められる非常に高度な達成方法であった。そこに至るまでの道のりは努力などで埋められるような物ではなく、天性の才能の有無でしかなかった。
しかしながら今回紹介する肛門学第2論理はほぼ全ての日本人が自宅で手軽に達成できる最もポピュラーな論理。
君も"肛門膨張回帰論(アナルビッグバン)"を実践して、一人前の肛門になろう。
①まず用意するのは、肛門学の起源となった千葉県の名産品でもある「大根」。輪切りにしてから、皮が残っているのは縁起が悪いのでしっかりと包丁で剥く。
切れた大根の片面には包丁で*型の切り込みを入れる(こうすることで味がよく染み込むようになる)。
↑イメージ
ここで、勘のいい読者諸君ならばふと気がつくだろう。
『これは"肛門膨張回帰論"の達成方法ではなく"おでんの下準備"の解説なのではないか?』と。
もしそうだとして貴方はおでんを食べないんですか?
【当ブログの今後について】
当ブログで取り扱っている肛門学について、世間では様々な根も葉もない噂が飛び交っている。
「バサルモスで抜く男は遂に最終回を迎えた」
「話のネタ切れがその域を越え、ネタ切れをネタにする領域にまで達している」
「本当は肛門論などという理論は存在しなかった」
など・・・。
これの厄介な点が、噂に留まらず完全に信じ込んでしまっている者もいることだ。
「肛門論は、もう"限界"なの・・・?」
私は春風の流れの中にこんな声を聞いたとき、居ても立ってもいられなくなってしまった。たかが尻の穴の話を延々としている当ブログの事なんて、いくら馬鹿にされたっていい。
しかし私のブログには、5000人もの読者と、それらが持つ2万を超える確かな肛門があるじゃないか・・・!
そんな彼らを差し置いてまで私が毎日していることといえば、人を撃っては殺し、撃たれては死にを繰り返すだけの低俗なビデオゲーム、それを終えたかと思えばコンビニエンスストアで購入した極端に栄養の偏った弁当を貪り、顔も名前も知らない女にイヤホン越しに耳を舐められる意味不明な動画を視聴しながら眠りにつく・・・本当にくだらない生活を送っている。
私は、心を入れ替え、"週刊"を取り戻すべく、当ブログの更新を再開することを決意した。リハビリを兼ねての第11回なので今回は若干短いが、来週分からはそのまま卒業論文として提出してもおかしくない程度の新鮮な情報とタメになる知識で埋め尽くされた記事を投稿しようと考えている。
次回(12回)の更新までに今回までの記事を穴が空くまで精読し、シワのケアも欠かさず、ゴールデンウィークだからといって怠けず大学の勉強もちゃんと付いていけるように・・・ちゃんと大学行ってる?(一人暮らしを始めた息子が心配なママ)
【肛門最新情報のコーナー】
新元号会議の際、菅官房長官は普通に尻の穴が痒かったため運良く出かかっていた大便を出し入れすることで痒みを凌いだ。
次→まずは今を大切にしろ
著:西連寺最強